宇宙の果て

ないであろうものをさがす旅をしています

へきというよりもさがとしての

わたしはハマったものに対してはできるだけ投資したいと思っています。単純に、わたしが幸せにしてもらったものにはそれなりに対価を払いたいし、そうすることが好きなものに対する一番手っ取り早い関われる方法なんですよね。金落としてナンボとまでは言わないけど、好きなものには積極的にお金払いたい。

 
先日永遠の0が日本アカデミー賞で8冠を獲得し話題になりました。あの時の岡田さんのコメントについてもまた記事にできればいいなと思います。
永遠の0が公開された時、わたしは合計6回映画館に足を運びました。1年前のことですので詳しく思い出せませんが、全てレディースデーや映画の日などの割引料金だったとしても、6600円かかります。あと、パンフレットも購入しました。ちなみにきっちり初回盤のBlu-rayBOXも購入しました。そこそこのお金をこの作品に投資しました。
まだ公開中の時に、知り合いに映画を6回観たという話をしたら「どうせDVDが出るのにどうしてそんなに行くの?お金がもったいない。少し待ってレンタルすればいいじゃない」というようなニュアンスのことを言われました。わたしはその時ショックが大きすぎて彼女にきちんと自分の考え方を説明できなかったので、今ここに記すことにします。
DVD(Blu-ray)レコーダーと映画館の差
まず当たり前の話になるのですが、映画作品は映画館で観るのが一番適していると思います。映画館で観るのを想定して制作されているので当然です。最近はテレビやスピーカーも高性能なものが増えて、家でも映画館さながらのサウンドを再現できるようになったとは言え、やはり家と映画館では大きく差があります。音楽番組で好きなバンドの曲を聴くのと、実際にライブ会場で聴く時の差に近いものがあると思います。バンドはアレンジだったりパフォーマンスが変わるものだから常に同じものを流している映画とは別物だ、という意見ももちろん理解できますが、感覚的には似ていると思います。わたしは映画館という場所が好きだし、映画館で映画を観ること自体が好きなので、余計に映画館と円盤では差を感じているんだと思います。もちろんレンタルした映画のDVDを家で観ることだってありますが、極力映画は映画館で観たい。
映画の中でも、家で複数人でワイワイ団欒しながら観て楽しむのに適する作品と、映画館で臨場感を楽しむのに適する作品があります。ホームドラマやコメディなんかはお家でみんなでパーティーする際に流すと盛り上がりますし、アクションやファンタジーものは世界観を全身で体感できる映画館向きだと思います。わたしはどちらかといえば後者の系統の作品の方が好きなものが多いし、永遠の0はまさに映画館向きの作品だと思います。役者さんの細かな表情や零戦での飛行シーンなんかは特に映画館で観た時に圧倒されました。映画館で観る印象と、プレーヤーで再生する印象とは、やはりまったく同じにはならないような感じがします。あくまでもわたしの考えです。
お金を払うということ
また、映画に払うお金がもったいないとは思いません。なにかを作るということには、必ずそれなりの労力を伴います。わたしは4年間芸術系の大学に通っていたので特に実感があるのですが、たとえ材料を買い揃えたりしていなくても、人のために何かをつくるという行為そのものに対価は必要だと思います。
わたしが満足する、楽しめる、幸せになれる、そんなものを作ってくれたからわたしは喜んでお金を出します。そうすることで、また何か新しくわたしが幸せになれるものを作ってくれる可能性があるからです。映画なんて絶対に制作費かかりますしね。CMでも総制作費◯◯億円〜とかやってますもんね。そのかかった費用を少しでもまかなえるなら、作品に携わった人々に相応の対価が与えられるなら、と思うと映画の料金が無駄だとは思いません。まあ、実際万年金欠なので割引されるのはとても助かってますが。
 
ここまでつらつらと書きましたが、結局わたしが好きなものにお金を落とすのには個人的なある思いがあるからです。わたしは決して好きなものにお金を落とすことが好き、というわけではありません。本当はもっとお洋服やお化粧品など、自分自身にもきちんと投資したいです。けれど、それよりもお金を落とさなかった結果好きなものを失ってしまうことが極端にこわいです。嫌いです。
今は落ちついていますが、昔わたしは若手芸人の追っかけをしていました。よしもとの若手のあるコンビが好きで、決して売れっ子とは言えない彼らがたまにテレビに出演するとなると録画、ダビングはかかせませんでした。とはいえ若手芸人の仕事のメインは劇場でのライブです。よしもとの若手には手売りや置きチケ等の方法で自らが捌かなければならないチケットノルマがあります。たとえばノルマが20枚だとして、10枚しか売れなかったら残りの10枚は自分のお金で会社から買い取らなければならないという地獄のような制度です。わたしの応援していたコンビにももちろんその制度は適用されていました。一度、偶然コンビの片方がなんばの劇場前で単独ライブのチケットの手売りをしている現場に遭遇しました。当時わたしは高校1年生でしたが、お小遣いが少なかったというような理由で2000円にも満たないようなライブのチケットでも買うことを渋りました。ライブの日程が部活動と被っていたということもありましたがそれは上辺の理由で、本心ではまだいつでも見れるからいいや、と思っていました。結局その時のわたしは「部活があるんでいけないです」と言い訳してチケットは買わずに写真とサインをお願いしました。彼は「また次の時来てくださいねー」と笑って写真とサインに応じてくれました。
それから5年ほど経ってもまだわたしは彼らのライブに行っていませんでした。劇場が遠い、時間が微妙、などいろいろ自分自身に言い訳していましたが、結局「いつでも見れるからまた今度」と片付けていました。けれど2012年の春先、突然彼らが解散するということを知らされました。バイトの休憩室でTwitterで本人がつぶやいているのを見ました。混乱しながらも、すぐに後悔のような懺悔のような感情が沸き起こりました。どうしてもっと劇場に観に行かなかったんだろう。どうしてチケットを買わなかったんだろう。もちろんわたし一人のチケット代でどうこうなる問題でないことはきちんと理解しています。けれど、自分自身が許せませんでした。「いつでも見れる」と呑気に思い込んでいた自分の間抜けさが不甲斐なかったのです。バイトから帰ってすぐに彼らの最後の出番の公演のチケットを買いました。大学の講義の時間でした。単独ライブより値段の高い本公演でした。それでも買いました。彼らの最後の出番だからです。インターネットでチケット購入の手続きをしながら、「最後だから単独より千円も高いチケ代でも学校サボって観に行く」自分に、「解散してほしくない」「かなしい」と泣いている自分に、なんとも言えない憤りを感じました。後悔してももう彼らの解散は取り消されないし、あの時「また次の時来てくださいねー」と笑った彼はお笑いの世界から去ってしまうのです。わたしを幸せにしてくれていた彼らに感謝もなにも伝えることができない自分が情けなかった。
 
上記のようなことがあり、わたしは「自分自身が後悔しないように」好きなものにお金を落とすようになりました。少しでもわたしを幸せにしてくれるものになにかお返しとまではいかないけれど、なにかしたいと思った時に、結局きちんとお金をつぎ込むことがなにより単純で手っ取り早い自己満足の方法だと気付きました。エスカレートすると危ない思想だと言われたこともありますが、今できる精一杯を趣味につぎ込みたいと決めたのできっとたぶんこれからも好きなものにはお金を落とし続けます……自分の為に。